一万円札の人物を歴代〜現在まで!名前と成し遂げた偉業をチェック!

一万円札、大好きという人は多いでしょう。

筆者も大好きです。

何となく重みがあって、お札の中のお札という感じがします。

ですが、これまでどんな人物が使われてきたのかを正しく把握している人は少ないのではないでしょうか?

そこで一万円札の人物を歴代〜現在まで調べてみました。

どんな偉人が一万円札の顔になっているのか、要チェックです。

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一万円札の人物を歴代〜現在まで!

では、古い順で一万円札の偉人さんを並べてみます。

その際、発行期間 、存命期間 、何をした人なのか 、採用理由 、裏面についての雑学についてもご紹介しましょう。

★第一回目:聖徳太子(C号券)


引用元:Wikipedia


引用元:Wikipedia

  • 発行期間:1958年12月1日発行~1986年1月4日発行停止
  • 存命期間:574年~622年

何をした人なのか?

古くは百円札、千円札、五千円札、ついには一万円札に登場しました。

飛鳥時代に女性天皇であった推古天皇と共に政治を行い、遣隋使の派遣、冠位十二階の制定、十七条の憲法は教科書にも載っていますし、余りにも有名です。

ここで、興味深い聖徳太子のエピソードをご紹介しましょう。

隋への遣隋使についての話です。

聖徳太子が生きていた頃の日本は弱小国でした。

そこで、彼が考えたのはその頃、栄えていた隋にささやかな皮肉のメッセージを送ること。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」という文書を遣隋使の小野妹子に託して贈り、隋の煬帝(ようてい)の怒りを買いました。

怒りの沸点は弱小国日本を「日出づる処」、偉大なる隋を「日没する処」としたところです。

しかし、怒りながらも煬帝は小野妹子の帰国の際にはお付の役人を付けたというのですから、なかなか丁重な扱いでした。

というのも当時、隋は高句麗と対決中でしたから、日本を味方に付けておきたかったのです。

太子はそれを見越していました。

そして、その半年後に太子が煬帝に送ったのは「東の天皇、敬みて(つつしみて)西の皇帝に白す(もうす)」というもの。

半年前に比べてずいぶん丁寧です。

実はこういったことはすべて聖徳太子の策略だったのではないかという見方もあります。

なぜならば、太子は2回目の文書に「天皇」を出しています。

これは。日本の天皇制を認めてほしいという日本側の主張に他ならないのでしょう。

最初にわざと怒らせながらも高句麗のためにつかず離れずの関係を持ち、その次に決定打を打ったのが先ほどの2度目の文書でした。

もしかしたら、太子はいずれ、日本を他の国がひれ伏すような国にしたかったのかもしれませんし、大国という現在の地位にあぐらをかくのではないと隋国に警告を発したのかもしれません。

あくまでも、筆者の独断と偏見です。

採用理由

実は、当初GHQ(連合国最高司令部)は1946年に日本政府がすでに決めていたお札の人物について、聖徳太子以外は認めないとしました。

軍国主義的な思想が背景にあるためでしょう。

聖徳太子でさえ、最初は異論を唱えたのですが、日本政府側として当時の一萬田日銀総裁が「聖徳太子は『和を以って貴しとなす』と 述べるなど、軍国主義者どころか平和主義者の代表で ある」として、GHQを説得しました。

上記に書いてあるように、平和主義の第一人者として敬われていたのでしょう。

何しろ、戦争が終わって間もない頃でしたから、尚更の事だったと筆者は想像します。

裏面について

鳳凰(ほうおう)という鳥が描かれています。

この鳥は中国神話の伝説の鳥で、縁起のいい鳥です。

アメリカとの戦争には負けてしまたけれども、今後の日本の発展を願おうという意味もあるかもしれません。

平和への強い思いが現れる一万円札だったのでしょう。

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第二回目:福沢諭吉(D号券)


引用元:Wikipedia


引用元:Wikipedia

  • 発行期間:1984年11月1日発行~2007年4月2日発行停止
  • 存命期間:1835年~1901年

何をした人なのか?

福沢諭吉は下級藩士の次男として生まれました。

幼少の頃から漢学を学び、一刀流の手解きも受けました。

19歳の時に長崎へ行って、蘭学を学び、幕末の動乱のさなかの1858年に、江戸で中津藩邸の蘭学塾の講師を務めていたようです。

1859年、日米修好通商条約に伴い派遣された咸臨丸の艦長の従者になり、渡米しましたが、この時に指揮官であった勝海舟とそりが合わなかったというエピソードがあります。

1862年、今度は翻訳方として欧州各国の使節団に同行、香港で植民地主義、帝国主義を身近で感じ、大きな衝撃と共に今後の生き方につながったようです。

帰国後、『西洋事情』などの著書を発表するのに伴い、啓蒙活動を開始しました。

この時、幕府機構の改革も唱えたようです。

やがて、1868年には現在の慶應大学の前身となる蘭学塾である慶應義塾を開き、教育活動に専念しました。

その後も教育に力を注ぎ、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染病研究所の創設に奔走しました。

現在、福沢諭吉は近世の教育に功績ある明治六大教育家の一人とされています。

採用理由

採用理由として、考えられることは上記にありますように、著名な文化人で教育活動に熱心だったということでしょう。

日本の近代化や学問を広く民間に普及させることに力を注いだという大きな業績を称えてということだと思います。

福沢諭吉が開いた慶應義塾は今も、慶應大学として日本の難関大学、ブランドのある大学として有名で、多くの受験生の憧れの的なのです。

また、ルックスが特徴的というのもあったようです。

福沢諭吉はホクロが特徴的でマネされにくい顔立ちなので、偽造通貨を造りにくいので、悪用されないのではないかという見解もありました。

裏面について

こちらは、雉(きじ)という鳥が描かれています。

実は、雉は1947年に国鳥になっているのです。

その理由は、母性愛の強いメスは、家族の幸せの象徴であるということ(記事のメスはヒナを連れて歩く様子等がよく見られるようです。)と狩猟対象に良く、肉が美味しいということ。

何だか、雉をかわいがっているのだか、どうだかというような理由ですね。

どうも、国鳥を狩猟目的にしているのは日本のみだとか・・。

何はともあれ、このように国鳥に指定されているということで、裏面を飾っていたのでしょう。

筆者は雉というと、「桃太郎」の家来という思いが強く、強くたくましい鳥というイメージを持っています。

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第三回目:福沢諭吉(E号券)


引用元:Wikipedia


引用元:Wikipedia

  • 発行開始日 2004年11月1日から現在に至る
  • 存命期間:1835年~1901年

福沢諭吉の名言集

何をした人かは、前に書きましたので、ここでは筆者の好きな胸に迫る名言集をご紹介します。

「人間は、負けるとわかっていても、
戦わねばならない時がある。
だから、たとえ負けても勝っても、
男子は男子なり。
勝負をもって人物を評することなかれ。」

筆者の解釈

負けるとか勝つとかが問題ではなく、やってみるということが大事。

勝負することが男らしい。

ここで、男子を出しているところが時代を感じますね。

最近は男女問わずに言えることだと思います。

「学問は米をつきながらも出来るものなり。」

筆者の解釈

勉強は家事の片手間でもできるもの。

つまり、やろうと思えば、いつでもどんなところでもできるということでしょう。

何か勉強したいと思いながらも、何もしていない筆者を励ましてくれるような言葉です。

「空想はすなわち実行の原案」

筆者の解釈

空想すること(考えること)で何かが生み出せるのではないかということ。

空想大好きな筆者にとっては嬉しい言葉です。

これからもますます、空想しながら何かを生み出せるように頑張ろうと思えます。

「人生は芝居のごとし、
上手な役者が乞食になることもあれば、
大根役者が殿様になることもある。
とかく、あまり人生を重く見ず、
捨て身になって何事も一心になすべし。」

筆者の解釈

うまくいかないことがあっても、諦めないで頑張ろう。

失敗したからと言って、大きなことに考えず、努力していこう。

これは、今、うまく弾けないピアノ曲に奮闘中の筆者にとっての励みになる言葉。

本当に人生ってそんなものかもしれません。

とにかく何事も頑張るということが大事なのだと、大先生が言ってくれているようです。

「人は他人に迷惑を掛けない範囲で自由である」

筆者の解釈

これは、そのまま受け取りたいステキな言葉です。

筆者は個性の強い子供を育てて来て、困ったと思ったことが何度もありましたが、この言葉通りに考えると、全てが腑に落ちます。

個性があっても良いのです。

人に迷惑を掛けないのならば・・。

世の子供たちに言いたい言葉です。

裏面について

最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしいものとして、瑞鳥(ずいちょう)であり、旧1万円券の裏面でも図案化されていた鳳凰を採用したものです。
鳳凰は、我が国の国宝である宇治平等院の鳳凰堂の鳳凰像を素材としています。
 https://www.mof.go.jp/faq/currency/07am.htmより

上記は財務省のホームページの言葉です。

なるほど。

品格のある紙幣にふさわしい瑞鳥(ずいちょう)、国宝である宇治平等院の鳳凰堂の鳳凰像ということです。

瑞鳥(ずいちょう)とは、めでたい鳥を表す言葉で、ここでは鳳凰を指しています。

鳳凰は中国神話に出てくる伝説の鳥で装飾やシンボルとして使われることも多くあり、物語にも出てくるようです。

実際、宇治平等院でも鳳凰像になっています。

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威厳のある一万円札

筆者は一万円札には敬意をもって接するようにしています。

といいましても、敬礼をするわけではないのですが、お財布の中では一番偉いお金のような気がして、いつも奥の方に入れているのです。

何となく、ムダに使っては福沢諭吉先生に叱られそうで・・。

最近はカード払いをする人が多いのですが、お札を使って支払うという従来の大切なことを忘れてはいけないと思います。

お札人物の功績等を思って、大事に使いましょう。

何といっても、日本の礎を築いてくれた聖徳太子様や福沢諭吉大先生です。

その心を大切にしなければいけません。

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