みたらし団子の由来とは?なぜ4個なのか理由も調べてみた!

みたらし団子はお好きですか?

お団子好きの私の中で「みたらし団子」は、1・2を争うほど好物のお団子なのですが、みたらし団子が好きすぎて、由来まで調べてしまいました。

なかなか興味深いお話なので、ご紹介したいと思います。

そして、「みたらし団子」の団子の数がなぜ4個なのか?理由についてもお伝えしていますので、ぜひ最後までお読み下さいね。

みたらし団子の由来とは?

「みたらし団子」の由来は、「京都の下鴨神社の御手洗祭」という説が有力です。

「みたらし団子」は、漢字で書くと「御手洗団子」になります。「御手洗」は、神社の近くを流れていて、参拝人が手を洗ったり口をすすいだりする川「御手洗川」の略です。

「御手洗川」は、京都の下鴨神社のものが有名で、下鴨神社では平安時代から続く歴史のあるお祭り「御手洗祭(みたらし祭)」が毎年夏に行われていて、このお祭りの際に神前に供えた氏子の家庭で作られた串団子が起源とされています。

家庭に持ち帰られた串団子は、焼いて醤油をつけて食べられていましたが、いつしか砂糖醤油の葛餡をかけた串団子が、御手洗祭の境内で売られるようになり「みたらし団子」として広く知られるようになりました。

「みたらし団子」は、神社本殿へと向かう参道にある「糺の森(ただすのもり)にある御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して作られとも言われています。

現在では、砂糖醤油の葛餡をかけた串団子全般が「みたらし団子」として広く認知されていますが、団子の数にも変化があるのでお伝えします。




伝統の「みたらし団子」は小ぶりで5個


<出典:加茂みたらし茶屋>

こちらは、みたらし団子発祥の地「下鴨神社」西側にある創業1922年の老舗茶屋「加茂みたらし茶屋」さんのみたらし団子です。

団子の数は「5個」で、小ぶりの団子が4個と1個に離れて刺されていますね。

この形が元々の「みたらし団子」です。

鎌倉時代のみたらし団子は、串先に団子を1つ、少し離して4つの団子を刺していました。

串先の団子が頭部で、その下の4つの団子が胴体。みたらし団子を「人の体」としていました。

作り方、食べ方にもきちんとしたルールがあり、団子を作るのは氏子で、厄除け人形として神前に供え、祈祷を受けた神聖な団子を持ち帰って食べたといわれています。

今ではスーパーにも売っている手軽なおやつですが、そもそもはとてもありがたい食べ物だったのですね。「みたらし団子」にこんな奥深い意味があったとは、ビックリしました。

下鴨神社の近くにある「加茂みたらし茶屋」さんでは、みたらし団子発祥の地として、今も当時のまま一串に5個の団子が刺さった伝統の「みたらし団子」を守っておられます。

…とはいえ、最近見かける「みたらし団子」は4個が多いですよね!その理由も調べてみました。

みたらし団子の数が4個になった理由

関西とくに京都にお住まいの方には、まだまだ昔ながらの「みたらし団子」が売られているお店が多いこともあり、「みたらし団子5個」はポピュラーな事だと思いますが、全国的に考えれば、「4個でしょ!」と思いますよね。 その理由は…

みたらし団子が食べ始められた鎌倉時代は、団子を串に5個刺すのが普通でした。

みたらし団子が一般的になったのは江戸時代ですが、当初は関東の方でも「団子は5個」が主流で、「花より団子」という言葉ができる程流行したそうです。

その頃、みたらし団子は一串5個で5文(1個1文)で売られていましたが、1756年頃に4文銭が発行されると、一串4個になりました。

4文銭しか払っていないのに、一串5個の団子を食べる人が続出してしまい、困ったお店側が団子の数を4個に減らして売るようになったと言われています。

今で言う「ワンコインで食べられる」的な感じですね(笑)!




なんと!一串7個のみたらし団子

4個が主流で5個でもビックリされる「みたらし団子」の団子の数ですが、以前TV番組で7つ玉のみたらし団子が紹介されていました。

東京都文京区にある「和菓子 一幸庵(いっこうあん)」さんの「小石川みたらしだんご」です。

創業昭和52年の和菓子屋さんですが、ご主人は京都や名古屋などで修業を積まれたそうなので、もしかしたら「みたらし団子」発祥の地で修業されたかもしれませんね。

ちなみに、「小石川みたらし団子」が7個なのは、一幸庵の近くにある播磨坂に伝わる「極楽の井」伝説が由来だそうです。

お花見の時期にしか販売されないそうですが、一度味わってみたいものです。




みたらし団子の由来は下鴨神社の「御手洗祭」

「みたらし団子」の「みたらし」は、味を表したものではなく、その由来は京都の下鴨神社の「御手洗祭」にありました。

ただただ、「美味しいなぁ」と食べていましたが、神事に関わる深い歴史があったとはビックリです。

団子の数にも意味があり、時代の流れと共に変わっていきました。

現在は「みたらし団子は4個で一串」が主流ですが、始まりは「一串5個」です。そこには人々の信心がありました。

京都へお出かけの際は、下鴨神社へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

そして、休憩に「加茂みたらし茶屋」で伝統の「みたらし団子」を味わってみて下さい。きっと良いことがありますよ。

最後までご覧頂き、ありがとうございました。